
「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正が施行され、2026年3月期から、有価証券報告書において企業戦略と関連付けた人材戦略と、それを踏まえた従業員給与等の決定方針等の開示が義務となります。
これと並行して、2026年3月には内閣官房・金融庁・経済産業省が主導した「人的資本可視化指針」の大幅改訂が公表されました。
開示義務化と指針改訂が重なるこのタイミングは、IR・コーポレートコミュニケーション担当者にとって、これまでの開示の設計を根本から見直す機会になります。
今回は改訂のポイント5つを整理して解説します!
開示の背景
2022年の旧指針は、経営戦略と人材戦略の連動の重要性を指摘するにとどまり、具体的な進め方の記述が限定的でした。
そのため投資家側からも、企業価値向上に向けた人的資本投資が実際に行われているかどうかを判断するための情報が不十分だという指摘が続いていたのが今回の改訂の背景になっています。
1️⃣ 「人件費=コスト」という構造の問題
改訂指針では、日本企業における投資行動の特徴を率直に指摘しています。人的資本への投資は「固定費」として捉えられがちで、短期的な利益確保のために後回しにされやすい構造があり、それが国際比較で見た低迷につながっているという認識です。
米国のS&P500構成企業では、2020年時点で時価総額の約9割が無形資産(人的資本や知的資本、ビジネスモデルなど)によって占められています。
価値創造の主体が設備から人へとシフトしているにもかかわらず、日本の無形資産投資は米国・ドイツ・フランス・英国と比べて低水準のまま。これらの国では投資が右肩上がりで増加しているのに対して、日本ではこの10年間でほとんど増加していません。
また、株主還元と人的資本投資を「相反するもの」と捉える認識も、こうした状況の背景にあると考えられます。しかし改訂指針は、この対立構図そのものに異議を唱えています。人的資本投資の拡大を通じて企業価値を向上させることは、投資家の利益にもつながる、両者は本来、相反しないという認識に立った対話を進めることが重要だと明示されています。
📍 これからのIR発信のポイント
- 人材への投資を企業価値向上のドライバーとして積極的に語る構成に切り替える
- 株主還元と人的資本投資は相反しないという論理を、IR資料の中でしっかり示す
2️⃣ 「横並びの賃金体系」が、実は競争力を削いでいる
ITやデータアナリティクス、プロジェクトマネジメントといった専門スキルが要求される職種の賃金は、米国・フランス・韓国では全職種平均と比べて高い水準にあります。一方、日本では職務に求められるスキルに応じた賃金差が先進諸国と比べて小さく、スキルの重要度を踏まえた報酬体系になっていない可能性があると指摘されています。
横並びの賃金体系は一見公平に映ります。しかし実態としては、高い専門性を持つ人材ほど割安に扱われることになり、海外企業やスタートアップへの流出を促す構造になっています。
📍 これからのIR発信のポイント
- 自社の報酬設計が経営戦略とどう結びついているか説明する
- なぜこの報酬体系なのか、どのスキルをどう評価しているのか、を示す
3️⃣ 国際基準が求めているのは、指標の羅列ではなく「戦略のストーリー」
今回の改訂における大きな変化のひとつが、国際的なサステナビリティ開示基準(IFRS/ISSB)との整合です。改訂指針では、経営戦略・人材戦略と、国際基準において開示が求められる「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標及び目標」という4つの要素との関係が整理されました。
また、どのような開示が投資家との建設的な対話に有用かという考え方が、別紙「戦略に焦点をあてた人的資本開示」としてまとめられています。
各社、開示情報を年々充実させている傾向にありますが、研修時間や離職率といった指標の羅列にとどまるケースも依然として多い状況です。その数字が自社の経営戦略とどう結びついているかという文脈を示せるのが理想型ですね。
📍 これからのIR発信のポイント
- 「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標及び目標」という4つの要素を軸に、自社の開示の構造を一度見直す
- それぞれの要素が経営戦略と一貫したストーリーとして再構成する
4️⃣ フローを活用してリスク・機会の明示を
今回の改訂でもうひとつ注目したいのが、経営戦略と人材戦略の連動を実践するための具体的なフローが提示されたことです。
まず、経営戦略を基に事業セグメントや地域ごとの「あるべき組織・人材の姿」を明確にし、それに応じた人的資本投資を検討する。
次に、企業と人的資本の相互の「依存・影響」の関係を明らかにし、そこから生じる「人的資本関連のリスク・機会」を整理する。
さらに、経営戦略と紐付く形で測定可能な指標と目標を設定・可視化し、投資家の関心に応じた開示を進めるという流れです。
従来の指針では「連動が重要」という指摘にとどまっていましたが、今回の改訂はそのやり方を具体的に示した点が大きいと感じています。
📍 これからのIR発信のポイント
- フローを自社に落とし込む上で、IR担当者が人事部門と連携を深め、自社の現在地を把握する
- 「あるべき組織・人材の姿」を経営戦略から逆算して描く
- あるべき姿に向けた課題と対応策を戦略に連携させながら語る
5️⃣ 採用候補者も、IR資料を読んでいます
人的資本の開示は投資家向けのものだ、という認識は根強くあります。一方で、就職活動を控えた学生や転職希望者、従業員といった労働市場のステークホルダーも、企業の人的資本投資に強い関心を持っています。
調査結果によれば以下のポイントに強い関心が集まっていることが示されました。
- 労働環境が適切か
- 企業風土が健全か
- 経営戦略と人材戦略が連動しているか
つまり、求職者が採用コミュニケーションに求めているのは、福利厚生や職場環境の情報だけではないということです。この会社の経営は、人材戦略と本当に一貫しているのかという本質的な開示に注目が集まっています。
実際に、自社の従業員や転職希望者の中には有価証券報告書や統合報告書といったIR資料を参照する層も3割強程度存在しており、人的資本開示が充実している企業ほど採用充足率が高いという調査結果も出ています。
📍 これからのIR発信のポイント
- IR資料と採用コミュニケーションを別々のものとして設計している企業は、一度この点を見直す
- コーポレートコミュニケーションという共通した枠組みでの情報の統合・見せ方の整理を図る
人的資本開示の進化は、自社の人材戦略を「見える化」することから
今回の改訂が示している方向性は、一言で言えば「開示の目的を問い直すこと」です。
有価証券報告書への義務化は対応すべき締め切りである一方、自社の人材戦略を経営戦略と結びつけて語り直す機会でもあります。
とはいえ、「あるべき姿はわかった、でも自社でどう進めるかがわからない」という声は多く聞かれます。まず取り組むべきは、自社の人材の現状を把握し、経営戦略とのギャップを可視化することです。どこに強みがあり、どこに課題があるのか。その実態を「見える化」することが、経営戦略と連動した人材戦略を考える出発点になります。
インクデザインでは、
- ワークショップを通じた人材の現状把握やリサーチ
- 経営戦略と連動した人材戦略の検討
- 社内外向けの発信施策の設計
- プロジェクト全体のマネジメント
など、一連のプロセスを支援しています。「何から手をつければいいかわからない」という段階からでも、一緒に考えることができますので、ぜひお気軽にご相談いただければと思います。
人的資本の開示はいまや、IR担当者と人事部門が連携して取り組む、経営コミュニケーションの核心です。まずは企業情報の見える化から着手してみましょう。
また、金融庁が公開している以下の資料は実例を取り上げており、求められている開示の仕方が非常にわかりやすいと感じました。ぜひ合わせて見てみてください。
- 戦略に焦点をあてた人的資本開示~投資家の期待に応えるための考え方の整理~
(人的資本可視化指針(改訂版)別紙)(PDF/1,926KB) - 経営戦略と人材戦略の連動及びそれを踏まえた指標の開示事例(付録①)(PDF/5,062KB)
▼インクデザインの提供サービスはこちらから確認いただけます。





